ものすごくゆっくりと、でも確実に
2014.03.17
前回の続きで「その2」、さっそくいってみよう。


A君が初動の勉強で理解したのはざっと下のふたつ —
・どんな人物にとってだろうと、「人間が生きていくための必要経費」は国家/政府、端的には税法によって一律に決められている。「ボクちんは毎日4000円以上の寿司を食わずには生きていられません!したがってボクちんは月収16万あってもカツカツでしか生きていけず、よってもって税金を払う余裕なんてとてもとてもありません!」などという言い訳は効かないわけだ。それは余裕のある人間の「余裕」の度合いを客観的数値によって定め、「余裕のある分」に対して課税する分には、確かにフェアな方法論ともなろう
・だが、物を読むこと、情報を仕入れること、各ジャンルの感動的な作品に触れて己のクリエティヴィティ等を涵養することなどが、どれだけその人の「仕事」に役立っているか、それともまったく役に立っていないか、そんなことを客観的に測れる基準は存在しない。そこから、ある意味徴税側にとっては便利な「給与所得控除」のような、主観と客観がないまぜになった科学的であるようなないような数値的基準が生み出された — 年収103万円ほどで生きるような人は、ホモ・サピエンスとしてなら38万円で、社会人・現代人として恥ずかしくなく支障なく給与労働をやっていくための必要経費としてなら65万円を足して、で「十分に生きていける」だろうという仮想の基準値である


そう考えてみると、彼は自分の直感的な怒りが論理的にも正当で順当な怒りであることが感じられた — 月収12万のアルバイトで月家賃6万その他に6万を費やして生きてきた自分は、自分が「健康」な生活、「文化的」な生活を送っている/送れているなんて全く感じたことがない。住居には不満アリアリにも関わらず月収の半分を取られるし、そもそも住居地がなければアルバイトに就くことさえままならない。アルバイト先に厳しい服装規定があるわけではないが、1年も2年も髪を切ることなく、1枚のシャツ1本のジーンズ1枚のコート1足のスニーカーで1年中勤めに出られるわけもない。美食に元から興味もないがたまさかのコンビニ焼肉弁当を自分に奢ることさえ慎んでその分小説やコミックや映画DVDレンタルや作画資料に費やしてきた。ケント紙・Gペン・スクリーントーン等の、漫画を描くための物理的必需品の実費は言わずもがな。それなのに、この国家この税法は「あなた144万円の年収があってその内31万円は『余裕のある分』にちがいないので1万5500円の所得税を取りますね」とか言いやがるのか! —と。


彼は一歩進んで、たとえば「単なるホモ・サピエンスとして年間38万円で生きる」自分の姿を想像してみた — 万が一の奇跡で目の前に何者かが現れて「ここに38万円がある。このカネだけで生きると約束するのならおまえにこの38万円をタダで毎年くれてやるが、どうする?」と訊かれたら自分はどうするだろう?月あたり3万1600円強で生きるために2万円ほどの格安劣悪住居をなんとか探して、1日300円ほどの食費で菓子パンあたりで何とか食いつなぎ、他に何にもすることもなく、もちろん漫画なんぞ描くこともなく、ただただ日々を年々を過ごし『ああ、何にもせずにこうやって生きていけるなんて楽だな』と思うだろうか?一体この、「基礎控除」ってやつは現代日本のどんな人間像を想定して「38万円あれば人間はとりあえずホモ・サピエンスとしてのみなら生きていけるはずですよ」とか言ってやがるんだろうか?その人間がもし39万円持っていたら「余裕のある分」としての1万円から500円を税金として取ろうと言うのだろうか? —と。


こうして彼は「まともな大人」なら本来あたりまえに持っていて然るべき、そして日本人の7割から9割がたが持っていない基礎的な税意識を持ち始めるスタート地点に立った。
彼はもう、この先一生、雑誌や書籍やDVDやパソコン・ハード/ソフトに「娯楽」のためのカネを遣うことはない — それらはすべて半年だろうが15年後だろうが漫画家としての仕事にいつか役立つよう「経費」を投入されるのだ。
彼はもう、この先一生、共産党以外に投票することはない — 福祉リターンがあるかないかを問わず税金をできるだけ取り、その使い途にのみ余計な「ぶち上げ」を行う政党すべてに興味も義理もなく、できるだけ税金を取らずその替わり余計な政治を行わない共産党だけが自分の利益に適うからだ。
彼はこの先一生、余力の範囲内ではあれ、基礎控除額と給与所得控除額(および同等のすべての控除額)の引き上げに向けて政治的関心を持ち続けるだろう — それが為されなければすべての「善き」政治もムダになり、そもそも「善き政治」など有害か無益であることを知ってしまっているから。それさえ為されれば、まともな人間のまともな生活が、少なくとも行政体によって損なわれることだけは避けられることを知ってしまっているから。
彼はこの先一生、2014年の大阪市や武雄市や多賀城市のような収奪行為に無知・無関心ではいられないだろう — それがいつ自分の身に降り掛かる火の粉になるかしれないのだから。


彼はいまや、一介のとはいえ確かな — それこそ大学教授をも含めた9割がたの日本人よりはずっと確かな税法学者ともなった。
そしてそれは実は、どんな日本人にもできることなのだ。


 


スポンサーサイト






   

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも

ジャンル : 政治・経済

ブログ内検索
基礎から学ぶなら