ものすごくゆっくりと、でも確実に
2016.03.02
前註)
先日、とあるひょんなきっかけから、このブログの過去のエントリの内容に関してPC内を検索していた際に、どういうわけかもったいないことに未公開のまま忘れっ放しにしていたエントリ案がみつかったので、今エントリとする。
エントリ6: あなたは103万円という金額の意味を知っているだろうか
"ぶっちゃけて言えば、われわれ現代(2012年現在、その前後)の日本に生きる者はどこで生活していようとたった年間103万ではけっして「健康で文化的な最低限度の生活」など送れないし、送ってもいないのだ。その103万をすら下回り更に年々引き下げに向かう年金、その103万が関係ないものであるかのように引き下げに向かう生活保護、いずれも日本国の政治が「やらずぼったくり」である好例だ"
の部分を受けて膨らませ、「個々の細かい論」の、続くいくつものひとつとして用意してあったものである。
下に続く文頭の「制度」は現行の年金制度の実状とお題目・大義名分、「ぶっちゃけ」は生身の国民ひとりひとりの実際の生活、とりわけ困窮者の実状、と考えて読み始めてもらうといい。
もちろんエントリ6に続けて読んでもらうともっといいが。
尚、カテゴリは元エントリの「税制」から、より相応な「血も涙もないリバタリアン」とした。




端的にこの、制度とぶっちゃけの乖離が起きているのは年金制度だ。
(老齢基礎)年金の支給額は1999年に80万4200円に達して以降、年々減らされ続けている。  ※1
そもそも「われわれ日本国を信じて40年間老齢時のために保険料を納めておいてくださいね。そうすれば60/65才になった暁にはわれわれ日本国があなたの面倒を見ます」という約束=お題目のもとの制度が、103万(もしくは100万、98万)の年支給額を満たせない、満たせないどころか満たす気がなくむしろ年々減額してゆく、という所に既に抜本的な問題があるのだが、そこは今は大負けに負けておくとしよう(退職した高齢者には給与所得控除に該当する「必要経費」的なものがない、とは言い得るからだ)。
だが、年間78万8900円(平成23年度)=月あたり6万5470円で65才以上の高齢者がどういう生活を送れるというのだろうか。
「65才以上なら配偶者と二人暮らしで持ち家あり、息子さん娘さんからの援助もあるでしょうから大丈夫でしょう、ハハハ」というのは「最低限度を保障しよう」という態度ではなく、自助努力や偶発事象によって可能になった最適レヴェルを勝手に想定・期待してしまっている態度である。
自助努力だけが最終結果を左右するというのであれば、そもそもこの年金制度自体が端っから不要なのであり、「保険料を40年間納め続けるのはお得、しかも義務ですよ?」というのが非道なウソ・騙し討ちであるということだ。


そう、もちろん日本国はこうした非道な約束破りのやらずぼったくりを、さも国民みんなひとりひとりのためであるかのようにのらくらとした言い繕いで逃げつつ続けながら、われわれの財産権はもとより、そのカネがあればあり得たかもしれない「その人個人個人の、その時々の自由と幸福」を侵害している。
そうした「一見合法的な」奪いをリバタリアニズムでは特に「収奪」と呼ぶ。
収奪は、ちんけな個別の犯罪者による個別の強奪・略奪・詐取・窃盗とはちがって一見合法的に見えるし、そもそも法の名の下に整えられた形を持っているため、行われても被害者自身がそれと気付かない「奪い」なのだ。


20才(でも18才でも)に達した時点で、国民が、自分で、年金制度に加入するかしないかを選べるのであれば、それは収奪であることをやめることができる。
20才から15年、25年、40年年金制度に加入し続けていた人にはこれこれこういう計算式に基づいてこれこれの支給額が必ず「戻って」来る — そうであれば、それは収奪であることをやめることができる。
20才から、30才から、40才からでも、年金制度に加入し続けていた人にはこれこれこういう計算式に基づいてこれこれの支給額が必ず「戻って」来る — そうであれば、それは収奪であることをやめることができる。
20才から年金制度に加入しては来たものの、50才のいま生活が苦しくて保険料なんてとても払う余地がないので過去30年分の保険料をこれこれの明文化された例外規則と計算に従って「戻し」支給してくれないか — そんな要求に応えられるのであれば、それは収奪であることをやめることができる。
20才からだろうが35才からだろうが国の年金制度なんぞには一切加入なんかしたくはないね — そんなもっともな自由意志を尊重して65才になったその人に1円も支給しないのであれば、それは収奪であることをやめることができる(もちろんいかなる「奪」も行っていないのだから当然だが)。
老齢基礎年金(兼障害基礎年金)制度をあえて自由選択・自発参加形式にするだけで、日本国はその薄汚くこすっからい収奪を簡単にやめることができるのである。


だからこそリバタリアンである私は、「リバタリアンであるにもかかわらず」どころか「リバタリアンであるからこそ」、年金制度の、そして生活保護制度の不当な低支給額とさらなる引き下げにノーを言っている。
それらは日本国政府がやっている内でも最悪の、最大規模の、最大多数の国民を対象に行われている収奪である。
しかも、「独立採算制」の範囲内で済ませているのならまだしも、次世代へのツケ、消費税増税、受給者イジメ等の、本来なら無関係なはずの方法論をありったけ使ってまで、破綻の事実をひた隠しにしてまで、続けられているのである。
そこに「おかしさ」を感じる人は誰でも、消費税増税の必要性の根拠のなさや支給額の引き下げや支給要件の無理のある厳格化や、をいま対症療法的に攻めるのはもちろん、将来30年後50年後に向けて根治療法的に、その根本的な実現不可能性・やらずぼったくり性を突いて攻め続けなければならない。
「皆保険」型社会保障制度は、根本的に無理のある、民間の各種保険にも対抗し得ない、ブラックボックス化で得/失計算ができない、政府の意向でどうにでも契約条件を破棄・無化できる、21世紀には相応しくない遅れた(そしてその遅れっぷりが看過されてきた)制度なのである。


もう聞こえるようだ、「さすがリバタリアン、血も涙もないですね?不幸で弱者な人々のことは考えないんですね?」といういつもの的外れな批判にもならない批判の声が。
リバタリアンは、社会保障制度に加入したい人は加入し、加入したくない人は加入を強制されるべきでない、と言うのみである — 誰も社会保障制度に加入してはならない、などとは口が裂けても言わないのだ。
そして実際いまそこにある危機として、日本国謹製の社会保障制度の不当さ不充分さに対してどれだけの怨嗟の声があがっているかを考えてみてほしい。
税金・社会保険料の名の下にカネを取られるだけ取られたあげくに「すいません、足りなくなっちゃいました〜」「すいません、どこかに消えちゃいました〜」「すいません、あなたにはあげられません!」「すいません、もうちょっと不幸になってから出直してきてくださいね〜」とは!
本当に血も涙もないのは誰だろうか?


※1 参照
国民年金 - Wikipedia
「老齢基礎年金支給額の推移」の項









   

プロフィール

Author:demosthenesZ
第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
twitterでも@demosthenesZ

スポンサード リンク





ブログ内検索
基礎から学ぶなら