ものすごくゆっくりと、でも確実に
2014.04.16
リバタリアンに関しての言説の内で、日本ではあまりにも知られていず、したがって誤解というよりは未理解の結果広まっている(?)もののひとつに「リバタリアンというのは他者を扶けない者だ」のようなものがある。これは日本人の大多数の「自由」への感覚が70年から150年ほども停滞したままの稚拙なものであるがゆえに出て来がちな未理解である。


少し楽しさへの予感がするので、今回のタイトルはいずれ「その2」「その3」と使い回すことになるだろう。で、今エントリはタイムリーなこともあって佐賀県武雄市 — そう、ニュース・サイトでも「ひまじんうんこの」として勇名を馳せたあの佐賀県武雄市に絡めて、ちょっとした思考実験的な楽しい読み物としてみよう。あなたが「他者を扶ける人」であるとしたら、どんな時に扶けどんな時に扶けないのだろうか。あなたが十分に「他者を扶ける人」であるとしたら、リバタリアンはどう不十分にしか他者を扶けないのだろうか。あなたが十分に「他者を扶ける人」であるとして、もしコミュニタリアンが「いや、足りてない。もっともっと他者を扶けなさい」と言ってきたとしたらどうだろうか — そういうふうに考えを詰めていかない限り、他者を扶けることにまつわる是非を問うことなどできないのだ。以下はそういう思考実験の一例となる。


もしあなたが、たとえば佐賀県、たとえば武雄市の住民であったとしたら、あなたは例の武雄市図書館、タブレット配布などの政策を「扶け」たいと思うだろうか?あなたがたとえ扶けようと思っていなくても、あなたは県民税/市民税の一部/全部という形で、部分的にではあれあの政策を強制的に扶けさせられるわけだが?


あなたは、たとえば次のように自分に言い聞かせることで、あの政策を強制的に扶けさせられることへの忸怩たる想いや憤りを静めることもできなくはないだろう — 「あれはかなりヒドい政策、でなくとも要らん政策だとは思うが、国・自治体の政策の中にはあの程度の政策は他にゴマンとある。まあ、なんだかんだで児童たちへの教育上の投資や住民たちへの『知』に関わる投資だったら、巡り巡っては自分(や自分の家族)に返ってくることもあるのだから、良しとしとくか」と。


またあなたは、あの市長や近しい市議・県議に一度も投票したことがなく、あれらの政策と歳出にただならぬ憤りを感じており、それゆえ自分の払う県税/市税に妥当なパーセンテージを掛けて、その分の不払い/返還請求という形で抗議の意を表すこともできるだろう — まあ、できるにはできるというだけで、訴訟という形で争わない限りは無視され、延滞利息まで取られる羽目になるにせよ。




さて、ここで舞台を一転。
あなたの足許から半径500m以内で完結するような架空の小さな話をしてみよう。


あなたの住むちっちゃなちっちゃな、おとぎ話に出てくるようなちっちゃな単純な村。人口は300人くらいだろうか。15才以下のこどもが60人ほどいて、「社会および人生の学習」みたいなことのために児童館兼こども図書館みたいなものを造る計画が持ち上がっている。小学校・中学校とちっちゃいながら総合図書館が既にあるにもかかわらず。

あなたは、他の成年住民と同じように月1000円の負担を求められる。その児童館兼こども図書館の造設と運営のために。またあなたは、月1回の無償実働奉仕を求められる。児童館の庭でペタンクを教えるということで。

妻子のないあなたは、あらゆる方向の理由からこの要求に不満を感じる。あなたは月あたりに換算して2000円前後の税金を納めているし、週2日の休日は読書とバス釣りと水泳と作曲と休養にローテーションで費やすことにしているからだ。あなたは総合図書館の何がどのようにどれくらい不足があってこども図書館をわざわざ新設しなければならないのか納得できないし、










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第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
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