ものすごくゆっくりと、でも確実に
2014.09.12
所謂「新自由主義」に「新」の字が付いているのは偶然ではない。
「新」の字を付けることで
「この自由主義は、自由主義のようで従来の自由主義ではないですよ〜。
(ぶっちゃけ『われわれ』の心の中では『あんたがた』の自由なんか知ったこっちゃないんでねw)
だから従来の自由主義は全部忘れて、われわれの主義・主張だけに耳を傾けてね〜。
新しくて、したがってかっこいいですよ〜、少なくともそれを信奉するあなたはかっこよさげですよ〜。」
と言っているようなものだ。
「新自由主義」なる文言は、歴史上確かに欧米社会で何度か使われてきたものではあるものの、現在使う必然性があるかないかといえばないものであり、使わなければ使わないほどよい。 ※1


さて、面倒なだけの用語法にまつわる話は措いといて、現行の、主に日本で使われている、「幽霊」としての新自由主義に絞れば、それは非自由主義、反自由主義、自由排斥抑圧主義、旧型不自由主義、縁故自由主義、オレ様自由主義である。
判りやすくぶっちゃけた口語でそのコンセプトを説明すれば
「われわれ利得を旨とする者の、利得の追及を阻む全ての制限力を無化し、われわれの考えるわれわれだけの自由を実現すべし。他者の自由・権利?そんなことぁ知ったこっちゃねえんだよ!」
というのが丁度いい要約となろう。
まともな自由観・権利観・人権観を持つ者ならそこに、あらゆる方面で「自由主義」と真っ向から対立する「わがまま幼児性ジャイアン主義」しか見てとれないだろう。


話を全般論・概論から具体論に移してさっそく1論。
私の大好物のひとつ:武雄市行政を例にとってみよう — お好きな人はイケダハヤト師を例にとってもヤフー・ジャパンを例にとっても同様に語れよう。
武雄市行政の悪名を一躍日本中(のまともな人)に知らしめたのは、ご存じ武雄市図書館、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)に指定管理業務委託した武雄市図書館の暴挙/愚挙だが、人によってはこれが快挙に見えるらしい。
もちろんこれを「快挙」とするのが、ここで謂う「新自由主義者」である。

武雄市行政/樋渡啓祐市長/CCC関係者/関係を持つ大学教授連ウンヌンの言に唯々諾々と従わない人ならば、その暴挙/愚挙は「一部の者による公共財/公共益の奪取・占用・占有」という意味のみからでも既に暴挙/愚挙と呼ぶ。
もし、個人/私人としての樋渡啓祐氏が、CCCと、賛同する各個人/各私企業と、無慮16億円ほどを出し合って「武雄市立図書館」を買い取り、買い取った上で私設/私営/営利運営の「図書館」としてやっていこうと言うのであれば、誰からも何らの「文句」も出ないのである(実質ひとつしか公共図書館を持たない武雄市がそれを売っていいか否かは別の話である。間違えないように!)。

批判・非難されているのはもちろん、そのカネが住民(武雄市民)から税金という形で集められ、そのリターン(福祉・公益)が住民に妥当に返されることなく、それどころか以前の「武雄市立図書館」が提供したリターンより質・量ともに落ちている、という点である。

あまりにもヒドいため、ひとつひとつの暴挙っぷりを挙げていくことさえ困難なのだが、武雄市図書館はほぼ0誌からせいぜいでも2誌程度しか「雑誌」を提供しない、と聞けばどんなあなただってそのヒドさが想像できるのではなかろうか — 武雄市図書館ではあなたが読みたいと思うような雑誌はすべて館内に併設されたTSUTAYAで買わなければならないのだ。
「だからどうしたの?」と言えるあなたはおそらく公共図書館を利用していず/利用したことがなく/利用する必要を感じない、無知で無教養で無趣味で、勉強嫌いな上にそこに開き直る、非社会的な人間であろう。そして、あなたが勝手にそういう人間であるのはあなたの自由であるが、そうした不自由をあなたの家族・隣人が押し付けられる謂れはない。現時点でこどもを持たないあなたであっても、10年20年30年後には小中高大生の息子/娘を持つ可能性はあり、あなたの不自由さ非社会性をその子が押し付けられるのは完全に非自由主義、反自由主義、自由排斥抑圧主義、旧型不自由主義、なのである。

こうした事どもは、実は簡単な自由主義原則によってたやすく説明できる問題である。
・「リベラル」は、知への自由と公共の福祉・利益の観点から、公共図書館の量・質的向上を目指す
・リバタリアンは、知への自由と公共の福祉・利益の観点を持ちつつも、個人の自由(この場合、財産権上のそれ)をも重んじる。現行の日本国内の公共図書館/民間私営図書館の置かれた状況は、リバタリアン個々の自由を侵害・制限するほどのものでもないため、リバタリアンはそれに反対するほどのものを持たず、殊に上乗せで要求するほどのものも持たない
・新自由主義者は、「公共図書館もその財/サーヴィスもロクに使われてないじゃん?われわれにそれを安価/無料でよこせよ!カネ儲けと集客に有効に使ってやるからよ?」と、「公共」を私有化し、公共のものを一部の者だけに供されるものにしてしまう

あなたがおそらく知らない、知りさえすればたとえ武雄市行政賛同派であっても180度ターンを見せるはずの、例をもうひとつだけ挙げておこう。
「公共のものを一部の者だけに供されるものにして」しまった武雄市図書館では、カネを払ってスターバックス・コーヒーを飲みつつ売り物の雑誌を「座り読み」する「客」には潤沢な座席が用意されているが、各種の「勉強」をしに来ている小中高生には僅少な座席・学習室しか用意されていない。公共図書館とは名ばかりのものとなった武雄市図書館では、カネを払う者は(たとえ市住民でなくとも)優遇され、カネを払わない小中高生なんぞは片隅に押し込めて不自由をかこたせておけばよしと考えられているのである — もちろん、武雄市図書館の運営費の大部分から全部は、武雄市住民の税金から、つまりはその小中高生の親/保護者からも出ているのだが。

ますます範囲を拡大し、住民への「実利」「実益」「公益」と言えるものはほとんど、あるいは全くもたらしていない武雄市行政の新自由主義的施策 — 端的には樋渡啓祐市長/CCC関係者/関係を持つ大学教授連ウンヌン/しみったれた市外・県外の事業者 — は、自分たちだけの自由、オレ様の自由、オレ様たちだけの利得を追及する自由のみを主張し強硬に実行に移し、住民の自由・権利を奪っている。リバタリアンである者/ない者を問わず有効なこうした犯罪性認識は「収奪」という用語の下に昔から知られている。そんなことも知らずに、知ろうともせずに「自由だーっ!やりたい放題だーっ!古臭い公共よさようならーっ!やっほっほーい!」と浮かれ騒いでいるあなたは、世界の遅れた田舎者、世界の老害であり、かっこよくも何ともない、使えない情報弱者で犯罪者予備軍なのである。


こんなことは「賢い者」「地頭の良い者」「常識のある者」「フェアな者」には最初っから自明の真実・原則である。それはホモ・サピエンス社会が4000年から1万2000年を費やして全地球的なコンセンサスに向かって奮闘を重ねてきた「常識」である。「自由主義」の立場に立つどころか真っ向から反対しているのは、上記3者の内では新自由主義者だけである。それは本来、そして現在では具体的/日常的にも、人類全体に対する犯罪であるのだ。あなたはそんな犯罪に加担したいと思う人だろうか?そうではないと言うのなら、いい加減「勉強」もしくは情報収集を始めてみてはどうだろうか?


軽くハートに火をつけられたので、シリーズその2を予定している。



※1
新自由主義 - Wikipedia
ここにあるような概説を読めば「どれが一体『新自由主義』なのよ?まったく異なる主義が並べ立ててあるじゃん?」となるのは必定である。
少なくとも2010年代にあっては、「リベラリズム(所謂リベラル)」か「リバタリアニズム」の一端・いち局面として語り得ない「新自由主義」など存在しないため、使わなければ使わないほどよいし、使うとしたら「自由主義」を履き違えている者たちへの侮蔑語としてのみ使える、という程度にとどまる。








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Author:demosthenesZ
第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
twitterでも@demosthenesZ

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