ものすごくゆっくりと、でも確実に
2016.01.08
さて、しばらく「リバタリアニズムの事例研究」シリーズで、どうでもいいテンポラルな政治屋たちの反自由主義の形を具体的に例示してみたわけだが、私は本来そういうことを好んで書きたがる者ではない。
そういう調子で、日本列島上に常に500人も5万人もいるであろう小から大の政治屋の小から大の反自由主義的行為を、細かく描いてみたところで、あなたのたとえば「じゃあどうすりゃいいってんだよ?」「んじゃ、結局『政治』なんてもんとは無縁でいればいるほど良いってことやね」みたいな不信や疑問や口惜しさや徒労感やネガティヴィティだけを喚起するにとどまるような気もするから。
とはいえ、この私やその他の「お友達」ならぬ図らずしての利害関係なき同志たちが、樋渡啓祐氏や平野和之氏や松岡隼人氏や水野ゆうき氏を、放っておくよりは放っておかないほうが、一般国民のごく標準的な政治意識を、寝ぼけたものから少しは目覚めたものへと引きずり上げる効果はあると思いはするが。


ってなことで、その「リバタリアニズムの事例研究」シリーズは、先日再起動させた別宅ブログ:『洗足池図書館の想いで』 のほうで、むしろこれまでより高めの頻度で、よりカジュアルにジャーナルにポンポンポンと書いていこうと思っている。
このシリーズが気に入ってるという人は、そちらもご愛顧いただけると幸いだ。


で、タイトルにした本題:「自称・自認の似非リバタリアンを覆う影」だが、モノホンのリバタリアン(笑)を自認・自称する私であればこそ、一度きっちり書いておきたいと思っていたことを今回つらつら拙速にでも書いてみよう。
まずはその道のシロウトにもクロウトにも、ほんのとっかかりの前提程度にウィキペディアによる一般論をとりあえず貼っておく(別に論旨に必要ではないが) —
リバタリアニズム - Wikipedia


些事にすぎない私事になるが、私はdemosthenesZというツイッター・アカウントを取ってしばらくは、読むに足るリバタリアンのアカウント/ツイートはないかとそれなりに渉猟していたクチだ。
結局出た結論は「そんなものはない」だとか「読むまでもない」だとか、さらには「何だ、このカンチガイ野郎は?完全に反自由主義的、もしくはエリート意識丸出しの無意識的反自由主義者だろ?」だとかいうべきものだった。
よしそれがどこかの大学教授のリバタリアニズム研究者みたいな人物のものだったとしても、その当のアカウントが著作や講義の粗悪な薄め液を「リバタリアンのお友達」に向かって垂れ流しているだけだったりするなら、あるいは他人のツイートを「誰にも見えない、自分にしか見えない」形であげつらっているだけの自閉した一言居士のものだったりするなら、それは少なくとも「ツイッターを使うリバタリアン」「リバタリアンのツイッター活用法」にはなり得ないのだ。


そんな私には、たいていのツイッタラーが無頓着に粗雑に、アンチ側からにせよプロー側からにせよ、「リバタリアン」「リバタリアニズム」の語を遣って言ってることが我慢ならないし、それ以上にまず嗤ってしまう。
リバタリアンを批判する(しているつもりである)人は、90%以上はリバタリアニズムを齧る程度にも学習せずしてのトンデモ論を吹かしているだけだし、リバタリニズムを標榜している(つもりである)人もまた、90%以上はリバタリアニズムの名の下にトンデモ反自由主義を自慢げに吹かしているだけだ。
たまたま私がツイッター検索で目を留め「おお、これは!」と思わされたりするのは、むしろたとえば以下のような文言である。
(以下、「あいじゃん」氏のツイート&私demosthenesZとの間のリプライ群より)

http://twitter.com/aizavesu/status/639222592079986688
私、リバタリアンが嫌いだ。リバタリアンなんて大体高学歴の男性で、挫折や大病を経験したことなく、家事や育児は妻か外注に任せっきりで、自分が万能だと勘違いしてるだけ。

http://twitter.com/demosthenesZ/status/643340355585249281
私もリバタリアンを自認する者ですが、あいじゃんさんが仰ってるのは「自称の似非リバタリアン」のことだと思いますね。当該ツイートに私は大きく同意できるのでRTもしました。
実際、あいじゃんさんの仰るような人々を私もよく見かけますし、嫌いですね

http://twitter.com/aizavesu/status/643782133438267393
そうです。私もリバタリアンでした。本当のリバタリアニズムは、働きたい人は働いてより稼ぎ、そうでない人も最低限の生活を保障され、そこに機会の平等があることだと思うんです。でも現実は違いますし、弱者を叩いてるだけに見えることも。


実際、あいじゃん氏の言うように、「高学歴の男性で、挫折や大病を経験したことなく、家事や育児は妻か外注に任せっきりで、自分が万能だと勘違いしてる」ような層の人々には、ロクに物も読まずして「なんちゃってリバタリアン」を気取るようなヤカラは非常に多い。
こうした人々はたいていが「今たまたま若いから自由」「今たまたま成功してて前途洋々なので自由」「たまたま生まれた家庭が裕福かつ教養程度が高かったため挫折知らずに現在自由」etc、etcで「ボクチンはこんなに自由で自力本願でカッコイイのれすぅっ〜〜〜!」と吹き上がっているだけであり、少しでも「不幸」になったり少しでも「守るべきもの」ができたりした時には、コロっと宗旨替えして自由主義に平気で与するヤカラであろう。
いや、むしろその程度であればまだマシなのであり、たいていの「今困っていないゆえにたまたま自由を謳歌」型の似非リバタリアンは、多くの「自分とちがう人々」に対して、びっくりするくらいに反動的・強権的な排斥・強圧意識を抱えていることがほとんどだ。


「気分だけのリバタリアニズム」「なんとなくカッコ良さげな政治意識の表象としてのリバタリアニズム」を標榜するだけの、似非リバタリアンにしてパターナリスト/ファシストは、この遅れた国:日本においては、たとえば堀江貴文、たとえばイケダハヤト師のような形で、能無し悪辣わがままタダ乗りベイビーたちのヒーロー&信奉者という絵図を描いて、本来ならリバタリアンとなっても不思議はない人々を、リバタリアニズムから遠ざけてしまう。
今回はほんのさわりの序説程度になったが、私はリバタリアンを自負する者として、これからもネチっこく詳細にアクチュアルに、そしてできればポップに、この「似非リバタリアン問題」「自称・自認の非リバタリアン問題」を、おいおい語っていきたいと思う。









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プロフィール

Author:demosthenesZ
第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
twitterでも@demosthenesZ

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