ものすごくゆっくりと、でも確実に
2016.10.26
「未来の自由主義と知」みたいな、とりわけ「知」みたいな文言を見かけて、「いい食いつき」を見せる人はどんな人だろう?
10、20代よりは30代、30代よりは40代、40代よりは50代。
そしておそらくは50代あたりまでが限界で、60代以上ではまた急速に食いつきを見せない人が増えるだろう。


「知識」「知能」「知性」「知力」「知的」...
われわれはしょっちゅうそこかしこで、「知」にまつわる単語を遣っているが、多くの文脈でその「知」は、たとえば「知的なものとそうでないもの」を分ける目的でも遣われている。
その伝で、たとえば「知的な人とそうでない人」「知的な職業とそうでない職業」「知的な趣味とそうでない趣味」etcのような、実はごくごく限られた形の知のあり方だけを良きもの・貴きもの・価値あるものとするダイナミクスも生まれてくる。
そしてその場合、「知的でないとされた人」「知的でないとされた職業の人」「知的でないとされた趣味の人」が、いきおい「知」だとか「知性」だとか「知的」だとかいう文言自体を嫌い、撥ねつけるようになる、ということも生まれる。


いい機会だから説明しておこう。
私が「知」という言葉を遣う時、それは全人類の全歴史に及ぶすべてのタイプの「知」である。
そしてこの「知」の対義語、というか対照語となるのは、単なる「無知」よりはむしろ「暴力」や「抑圧」「可能性の否定」であろう。


私の「いろいろ」を読んでもらっている人には、この私demosthenesZというのは、一般的に謂うような「知的な職業や趣味を持つ知的な人」に思えるかもしれない。
私はそれを必ずしも否定はしないが、同時にその知は誰でも相応に、またヴァラエティ豊かに、得ているタイプの知にすぎない、と言うだろう。


別にどうでもいい初出しの情報となるが、私のここ数年の生計の8割がたは「音楽創り」から成っている。
小学生の時分にはむしろ音楽嫌いであった私は、中学生から英国ロックの虜になり、大学生になってやっとギター/作曲を始めた。
私の「音楽への知」「音楽という知」は自分自身によって、そして英米ロックをメインとする音楽全体から得られている。
なおかつ、中高時代の級友や、楽器や録音機材が比較的安価に入手できる日本社会や、「ガレージバンド」というバーチャルMTRを産んだアップルや... そういうものすべての拡がりが、私の「音楽への知」を援け育んでいるのは間違いない。
私は「日本のレコード会社」を相手にしていないが、私の産む音楽もまた、音楽という大きな知の体系の小さな一部として、多くの見ず知らずの利害関係もない他者に受け取ってもらい、その人の「知」の一部となるだろう。


既出の情報だが、私はバサー(ルアーでブラックバスを釣る者)であり、ルアー製作販売者でもある。
20代後半、たまたまの友人から手ほどきを受けバス・フィッシングを始めた私は、幼児時代からの生き物好きと論理的思考からそれに夢中になり、ルアー製作販売者ともなった。
そこには、古今のルアー会社とルアーや、ルアー・フィッシング言説メディアや、釣具店や、各々に各々のバス・フィッシングを楽しむバサーや... という「バス・フィッシングの知の体系」がやはりある。
加えるにそれは私に、他の釣り師たちへの共感や意識共有や、「鉄ちゃん(鉄道マニア)」と相通じる趣味・指向や、田舎の地方都市への奇妙な愛と知識や... という周縁的な知への接点をも与えてくれる。












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プロフィール

Author:demosthenesZ
第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
twitterでも@demosthenesZ

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