ものすごくゆっくりと、でも確実に
2018.02.17

前回エントリで書いた「『アフィ厨』として死んでいく人々」の由って来たる精神風土はどういうものだろうか ー
それが今エントリのネタ:「何もできない人」、そして「『何もできない人』になる人」となる。
言葉遊びのような書き方をしているが、その必要性は読み進めてもらえば追い追い感じられてこよう。



当ブログとも今エントリともことさら関係のないことなので簡便に話を済ますが、私はミュージシャンとして生計(の大半)を立てている。
だから、私の言わば「第一の専門」は音楽を作ること、と言える。
私は自力のみで、自宅で「音楽を作ること」の全てをやれる。
作詞、作曲、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム・マシン・プログラム、必要なら少々のキーボード、デジタルMTRとしてのMacのGarageBand、アメリカ企業の配信販売サーヴィス ー 似たような日本人なら誰でもやれることだけで。

私は音楽を好み、音楽を作ることを好むが、他にもたくさんの好きなことがある。
音楽を作って売ることが生計の道になる前から趣味で始めたルアー・フィッシングは、あってもなくてもいいがあると楽しい程度の、第二の専門にして生計の道:ハンドメイド・ルアー製作販売をもたらしてくれた。

私は、楽しくやり甲斐がありリーズナブルであるからそのふたつを生計手段とする生活を送っているが、いつでもごくフツーの(さらに言えば「底辺」の)給与所得仕事に戻ることもできる。
過去には10年もそれ以上もあたりまえに続けていたことなので苦にするほどのことでもない。

その他にも私は、消費者/享受者として小説、映画、漫画、学術などにも詳しく、水泳や料理を嗜み、それらに関するブログを書いたり、そこにアドセンスを貼ったりもできる。

ー いい加減、自慢ったらしさにウンザリしてきた人もいようが、実はこれらは1960、70、80年代生まれあたりの日本人の多くにはやろうと思えばできること、あるいは過去に十分にやろうと思い、それを続けていたならばできたはずのこと、程度のものに過ぎない。
読んでいるあなたが10代、20代であれば、自身の父母やその世代の尊敬できる誰か、あるいは1、2、3世代上の尊敬できる誰かのことを思い浮かべてみるといい。
「専門」や生計の道が何であれ ー なんなら「タダのサラリーマン」であれ、その人たちは私とそう遠からず「できること」をいろいろ持っているはずだ。



さあって。
この2010年代、そして以降のこの先、日本には「何もできない人」「『何もできない人』になる人」が増殖するだろう。
なぜか?
「今のところは何もできない人として扱われる人」であるならともかく
「何もできないのに何かができるように思い込んでいる人」
「実質的に何もできない人であるのにそれを認めたがらず、何かができる人のように装うことに血道を上げて無駄な人生期間を過ごす人」
が増えるからだ。



「イケダハヤト系」の人々はその分かりやすい典型例だ。

この人たちはたいてい「ブロガー」であるのだが、彼らがそのブログに書くのは「ブログを書くことについての各イシュー」であることがほとんどだ。
彼らは、音楽、小説、映画、漫画、絵画、学術やスポーツやレジャーやその他のニッチな趣味やに入れ込んだ経験が無きに等しく、したがってたとえば「音楽ブログ」みたいなものをやることすらできない ー 音楽が好きで音楽に詳しい人ほど、ド素人が書く音楽ブログもどきのようなものは積極的に忌避するからだ。

この人たちはしょっちゅう「これが今スゴい!」「これからはこれがクる!」みたいなことを仲間内だけでやっているのだが、ではそういう自分が何をやっているかといえば、ほとんど、あるいは全く何もしていない。
最近の彼らの間のトレンド(笑)として、たとえば「田舎で半農生活」みたいなものがあるのだが、では、とある年、たとえば2017年にどんな農作物を何トン作ったのかといえば、「柚子を20kg」程度がせいぜいの答えだったりする。
アマチュアが作ったほんの20kgの柚子など2000円にもなれば御の字だろう。
「農作物を作って売ることの意外な大変さ」に気付いた彼らは、次には「地元」の農家の人々にウェブ利用の農作物販売メソッドみたいなことを吹き込み始めるかもしれないが、さて彼らが流通をも含めた全システム作りなんてことをやれるかといえばそうではないため、「1000円分のレモングラスを買うのにどこの優しい消費者さんが600円の送料と250円の代引き手数料を払ってくれるんかい!」とそっぽを向かれることになる。

この人たちの中には時として、「よし、オレはこれから画家になる!」みたいなことを唐突に言い出す人もいるが、「画家」なりイラストレーターなりペインターなり漫画家なりになる人というのは、たいてい10代からそのための努力や試行を続けているものである。
ついこの間までブロガーだアフィリエイターだと騒いでいた人が、好きでもなく素養もなく情熱や努力を注いできたわけでもない「絵画」にいきなり目覚めたとて、そんな画を買ってくれるような人は「仲間内」以外にはいなかろう。
たとえばそれから4年間に24枚の、画とも言えない画を「おともだち」にお情けで買ってもらって先が見え... 次には唐突に「ミュージシャンになる!」みたいにまたも人生航路の変更、だろうか。



何かができる人、何かをできるようになった人というのは、「その前」に5年も10年も20年もその何かを続けてきた人であるのが普通である。
「その道のプロ」として厳しく限定的な専門職に就いていようとそうでなかろうと、「何かができる人」は、自然な自己充足と非職業人としてのほどよく楽しい日常個人生活で落ち着きを持って生きているものだ。
「自分探しA!ちがった!コレジャナイ!」「自分探しB!またちがった!またコレジャナイ!」「自分探しC!またまたちがった!またまたコレジャナイ!」 ー 何もできない人はそうして10年も20年も何もできない人であり続けるだろう。
イケダハヤト師やイケダハヤト系の人たちが、今現在もそういう迷走と珍行動を日々見せているように。









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プロフィール

Author:demosthenesZ
第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
twitterでも@demosthenesZ

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