ものすごくゆっくりと、でも確実に

リバタリアンと最低賃金に関するよくある誤解

2013.07.22
この新設カテゴリー「血も涙もないリバタリアン」では、ゆっくりと根気強く粘り腰に、リバタリアニズムが金持ちだろうが貧乏人だろうが「自由と幸福」を考える人すべてに採用され得るひとつの自由主義・ひとつのヒューマニズムであることを辛抱強く説き明かし、少なくともリベラリスト、コミュニタリアンにも共有され得る政治思潮/政治思想傾向であることを訴えていきたい。(カテゴリーのタイトルはもちろんシャレの戦略的逆説だ)


リバタリアンが最低賃金制度に反発する、ということは非リバタリアンにもよく知られている。
だが、リバタリアンがどういう論理的枠組みの許にそうしているかまで知っている人は、100人中せいぜい1人から10人ってとこだろう。
リバタリアン/リバタリアニズムに反感をおぼえている人の100人中90人から99人は「最低賃金制度に反発するリバタリアンは強者の論理に立つ強者/強者候補生であり、したがって新自由主義的であり、弱肉強食思想の持ち主であり、弱者・庶民の敵であり、自民党型・維新の会型の政治意識の持ち主である」というふうな、実は最初からまちがいだらけの考え方から、根拠もなくリバタリアニズムを敵視しているのだ。


そうした誤解、というより無理解・未理解を呼ぶのは、もちろんリバタリアン側にも責任がある。リバタリアンが元々の論理的枠組みを説明することを「いやw いまさらw もう所与の当り前の論理じゃない?w」とケチっているため/ケチりがちなため、その「最低賃金制度への反発」を新自由主義なるお化けにいいように利用・借用されてしまうのだ。たいていのリバタリアンなら、いちばん嫌いな自民党のような専制主義者たちに言説を借用された上けなされるのではたまったものじゃない、と感じる。私はケチることなくがんばってみることにする。どうせ1エントリーでは片付かない予測があるので、語り飛ばすことなくたっぷりと饒舌に進めよう。文体も便宜に応じてころころ変えることになる。



最低賃金は、そりゃ高ければ高いほどいいだろう。誰でもそう思う。理の当然だ。人間の本性にも合致しているだろうさ。

だが本当に?それを無限大に拡げていけるもんかね?コンビニのアルバイト店員の時給がたとえば2500円になったりとか?

で、誰がその2500円の時給を払うんかね?コンビニがチェーン直営店なら「会社」が、個人のフランチャイズ店だったらその「オーナー」が、だよね。

2500円は無理筋すぎるんで1100円にしようか。そのくらいが世間の全般水準になれば「ワーキング・プアの問題」は、まあ解決に近づくってんだよね?

個人のフランチャイズ店だったら、に話を絞るよ。そのオーナーはどこからその1100円/hを捻出するのかな?店全体の「儲け」から、だよね。そこらへんのおやっさんが代々受け継いだ酒屋を潰して転業して細々と始めたコンビニかもしれないぞ?フランチャイズ料は払うわ、改装に費やした借金は残ってるわ、売れ残った弁当は自家消費で買い取るわ、客がいようがいまいが1人2人は「店員」を置いとかなきゃいけないわ、自分の「休日」なんかなかなか取れないわで、大変なんだよそのおやっさんも。自分が月300時間働いて、奥さんも月120時間手伝って、ランニング・コストを引いた後の「儲け」って言ったら2人で25万円、でカツカツってなことだって当り前にあるだろう。2人で420時間/月で働いて25万だぜ?(時給換算してみ?)

そんな状態でアルバイト店員が1100円の時給で働ける、なんて!店が潰れようがどうしようが、また別の職を探せばいいアルバイト店員が!

(とかあんまり言ってると、それこそ『和民』さえ擁護できちゃうね。ちょい軌道を変えて — )

こういうのをズバット参上ズバット解決、って妙案がありましてね。完全フレクシブル小分け雇用自由設定同意時給システム、とでも名付けますか。

6時〜25時年中無休で営業してるこのコンビニは、たとえばのべ28人を雇えばいいのね。
月〜金の6〜8時は近所の女子大生が早起き短時間登校前の800円/hのバイト
月〜金の8〜12時は近所の年金生活のおじいちゃんが700円で
月〜木の11〜17時は近所の主婦Aが750円で
同じく月〜木の11〜19時は女性フリーターが800円で1つ離れた駅から
月〜土の12〜21時は子供のいない主婦Bが850円で2つ離れた駅から。主力選手です
金〜日の11〜17時は近所の男性フリーターが700円で
同じく金〜日の11〜20時は女性フリーターBが850円で1つ離れた駅から。「休日」の主力
土・日の6時〜13時は近所の男子大学生が900円で。「休日」の朝からだからね。失えない
洩らしてる時間帯は自分で埋めてみて。
いろんな人がいろんな事情で「この時間に働きたい」「その時間はムリ」ってのはあるさね。
時給の安い・高いもおんなじこと。
ま、あとはオーナーのおやっさんと奥さんがなんとか時間を工面して埋めるわけさ。

さ・て・と。
上の例ではみんな700〜900円の時給で働いてるわけだけど、ここにお上か何かが「最低時給は何が何でも1000円ですっ!それ以下ではまかりならんっ!」って言ってきたら何が起こる、あるいは起こり得るかね?オーナーは苦渋の選択の結果、何人かを「切り」、必要だから「重なってる」時間帯の人員数を削り、労働者=勤労者=給与所得者=アルバイターたちになんとか最低でも1000円を払おうとしなきゃならんわけさ。上の例で言うと、月〜金の11〜19あたりの時間帯にブラッキーな少数精鋭てんてこまいでヘトヘトイライラ、みたいな労働状況が生まれかねないな。当然コンビニバイト非深夜で1000円も出そうってんだから、結構な「有能さ」が求められることになるだろうねえ。月〜金午前のおじいちゃんなんかはどうなることやら。朝の2時間っきりなんてポストもずいぶん無駄だ、ってことにもなる。

もひとつ。
上の例では、まあ、現行でも当り前に見られるシフトや時給だったりするじゃん?ファストフード店やスーパーなんかは必然的かつ理にかなった理由から、かつ「実際に存在してるそういう事情の人々」と諸条件擦り合わせの上で、そういうシフトを組んでるわけだ。とは言え、店側だって店員側だって、まるまる万事OKって幸せな状態でニコニコしてるわけじゃ必ずしもないよね。時間が長い/短い、時給が高い/安い、業務が大変/楽、って店も店員も損/得、オイシい/マズいの間で揺れながらも、まあなんとかやってますぅ、ってとこに落ち着く、と。
でも、そういうスーパー、そういうコンビニがいろんな所にいろんな規模でいろんな「狙い」で営業してたらどうかな?そして他ならぬ「あなた」が、月〜水は職場A、木曜は休みで、金曜は職場B、そして職場C、土日は午前中、早朝から11時までのみ職場D、午後は趣味と実益を兼ねた将来の為の個人事業、ってな感じで働くのは?あなたが「同意できる」諸条件さえ満たしてればそれらの職のどれかに関しては時給600円で働くことだってアリじゃないかね?

いわゆる「ブラック労働/企業/雇用」ってのは、「職場」や「雇用」や「ポスト」ってものがあまりにも硬直的に限られてしまっていて「これを選ばなきゃ替わりにあれ、どっちも気に入らないが、生きていくためにはしょうがない、あぶれるよりはこれで我慢しとくか」って状況が、当り前の、所与の、変えられない前提であるかのようにまんべんなく拡がっちゃってるのが原因なわけさ、だろう?
じゃあ、抜本的な解決になり得るのは、限りなくフレクシブルで非条件限定的な、二者択一性のすごく薄い、無数の、生き物のように変化する「マイクロ雇用」「マイクロ職場」「マイクロ企業体」での「マイクロ労働」ではないのかね?

ものすごく具体的で現実的な例をひとつ挙げようか。私は手作りのルアーの製作・販売を細々と個人事業主としてやってもいるんだが、それに精出す時間はすごく限られてる。最高額の売り値6000円のルアーがいちラインナップとしてあって、作る先から(というより予約で)売れていくんだが、のべで60時間足掛けで1ヶ月は最低でもかかる労作なんで、1ヶ月1個販売がせいぜいとなる。これの「木製部分の荒削り」を誰かが暇つぶしの遊びがてらにでも有償でやってくれると、私は2ヶ月3個から5個も売れるようになる目算が立つわけだ。年金生活の手先の器用な職人気質の近所のおじいちゃんでも引き受けてくれるんなら、1個あたり1000円払ってもいいわけよ。もちろん、それを時給換算してしまえば100円/hののべ10時間労働とかになるが、個人と個人、個人事業主と個人事業主の間の自由で自発的な、好きずきでやってもやらなくてもいい「取引」「請負仕事」になるわけだからね。ノルマなんかなくても済む。当然、とまでは言わないが、おじいちゃんがそれ用の「開業届」を出してそれを「事業」としてやるとなったら「経費」なんかも計上できるわけさ、理論上はね。
ほんの一例だが、こういうことが「マイクロ労働」なわけさ。年金生活で、カツカツで、時間・能力で限定条件を出されるような「給与仕事」はできなくて、特に趣味もなく、あったとしてもそれに遣うカネがない。そんなおじいちゃんの気質や興味ややりがいや余暇・余力のどれかに合致したら、この「木製部分の荒削り」って仕事が、職が、収入の口が生まれるわけだね。そして最大級の場合分けで見れば、1億3000万人が1億3000万人に「仕事を発注」したりされたりするのも可能、と。誰もが「給与所得者」であると同時に「事業所得者」でもある、と。給与仕事2つ事業仕事4つ、なんて人もいる、と。

「いま」だけを見てるから「そんなことできるわけがない」って思えてしまうんだよ。また、硬直したものの見方をしてるから、ってのもある。「旧き良き」日本で、人口のいったい何割が「給与所得者」であったかね?また、たとえば漫画家とアシスタントみたいな関係において個人事業主と個人事業主の関係がなぜ結べないことがあるかね?なぜ趣味でグラスリッツェンをやってる主婦のあなたはそれを「事業」にしていけないわけがあるかね?

ちょいと進みすぎたな。戻って —
上の、おじいちゃんと「木製部分の荒削り」の例においては、「最低賃金」なんてものは端からお呼びじゃないわけだ。もちろんそれが「雇用」「給与仕事」ではないからだが、逆に言えば、「給与仕事」に頼ってそれを求めてるのは他ならぬわれわれ自身である、「給与仕事」に頼ってその専属になり「事業仕事」に乗り出さないのもまた他ならぬわれわれ自身である、とも言えるじゃないか。

「企業」「会社」「勤め口」と呼んだって、零細・中小から個人事業主まで実態・実状はいろいろあるわけさ。「雇い主」だって全部が全部「資本主義のブタ」ってことはない。そして「労働者」の姿だって十人十色、さまざまな人生のあり方のとある一時期にその可能な範囲内で「これこれこういう時間・種類・報酬・見通し・やりがいの仕事を」って望みの下に、小から大、楽から苦、アマからプロまでの幅広い無限のグラデーションで、あるわけさ。そういうことをすべて考えに入れてみた末になお、最低賃金制度と高い最低賃金が、みんなにとっての最適解と言えるか、ってことなのだよ。

ま、今日はこのくらいで勘弁しといたらあ。
(書きすぎたし、疲れすぎたんでね)
ちなみに最近、別宅ブログ『洗足池図書館の想いで』を作り、そこではこのブログよりずっと「具体例」を多用していろんなことを語っていくつもりなので今回エントリーみたいなのが気に入った人はよろしく(故あってリンクは貼らないがググれば見つかる)。



リバタリアンって生き物は、たとえば2020年のある日、画期的な政策や社会改革案や革命によってこの日本社会のしくみ全体がどんでんと丸ごとひっくり返って最高レベルの大幸福がみんなにまるで天からの贈り物みたいにやってくる、なんてことを夢想してるわけじゃあねえんだぜ?(なぜか『蒼天航路』の劉備ふうに)
少数の聖人君子や哲人やスーパーマンによって「足りないもの」が慈悲や正義心や努力や義俠心から無尽蔵に与えられる、なんてこともあるはずぁねえわな。
だからこそ、無数の個人個人が、「自分の損得」を秤にかけつつも、完全な心からの法の支配への同意の許に、同意の、自発的な、リーズナブルな取引=交換=経済行為(カネが絡む話だけじゃねえよ)によって好き勝手に個人個人で「幸福」を目指してると、そのフィードバック・ループによっていつのまにかみんな(でなくても多くの人々)が幸福になっちゃってるだろう、って考えてるし目指してるし希求してるし、部分的にはいま現在も過去にもちゃんとその実例を目のあたりにしてるわけさ。
あんたの自由、あんたの幸福ってのはどんな形をしてる?そいつぁあんた自身にだって簡単には説明できないようなもんだろう?だったら、なんで「政府」だとか「国家」だとか「社会」だとかってもんにその形が決められるか、ってんだよ。
政府・国家があんたの生き方も知らずに「でも年とったら働けなくなるし、それでもカネは要る、でしょう?」って(老齢)年金制度ってもんを推奨、さらには強制してきても、あんたにはいつだって、「いや、そのカネは自分で貯めますし」「いや、あんたたちより民間の利殖のほうが役立つし信用できるし」って言う権利があるはずなんだよ。「年食った時点で好きな仕事で成功してらあな、運が悪けりゃ死ぬだけさ」ってのも含めてね。
リバタリアンってのは、そういうことで言やあ、当り前の人間感情を基にしてるって言えるんじゃあねえのかい?




『蒼天航路』という漫画作品は、政治的なヴィジョンとヴィジョンのぶつかり合いのダイナミクスを歴史物に託して描いた、漫画作品としてはなかなかに類を見ない傑作である。そこでは曹操にリバタリアニズムの萌芽を、劉備に情を基にした原始的コミュニタリアニズムを見ることができる。今回のエントリーと直接に関係はないが、熱く面白い政治ロマン作品であるのはまちがいない。









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コメント
No:4|リバタリアニズムは...
今の日本社会では、言葉すら知らない人が大多数ですから。

アナキズムでさえ死語になって...
さすがに国家への信用が度を超えていますよねえ

何かあったら直ぐに規制!では、根本的な問題は何も解決しないのに。
期待されたネオリベも、橋下さんがやらかして最悪の状況ですし、益々、他者への依存は強まっていきそうですな。
2013/07/26 13:23|by マレーノージック|編集
No:5|Re: そうなんですよね、でも...
でも、私はあきらめてないですね。
リバタリアニズムを「当り前のひとつ」として広く知られるように持っていくのも
ある意味「われわれ」の仕事、なわけですから。

ここではくだくだしいくらいに、カジュアル路線含めて、リバタリアニズム理解の一助となるよう
全方向のウェブユーザに向けたエントリーを放つことをタスクとしています。
読む人がリバタリアンになってくれなくても全然構わない、って感じで。
「ちなみに」程度ですが、私は「ネオリベ」という言葉は獅子身中の虫的に、もしくは罵倒語として使ってます。
な〜ぜアレが、リバタリアニズムに紐付けられて使われるかな〜、と感じるがゆえです。
2013/07/30 20:25|by demosthenesZ|編集
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プロフィール

Author:demosthenesZ
第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
twitterでも@demosthenesZ

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