ものすごくゆっくりと、でも確実に

極近未来のリバタリアニスティック社会と最低賃金制度

2013.07.30
リバタリアンの最低賃金制度に対する感覚について、前回エントリーを受けつつ、また別の角度からアプローチしてみよう。今回は殊に、ひとりひとりの生身の人間の日常に即して、だ。


と、その前に
・このブログの読み方/使い方
・「政治」をどう観るか
・フツーに政治と言う時と、あえて「政治」と括弧くくりで言う時に
どんなちがいが出て来得る か
に関して、少し退屈なマニフェスト的なことを軽く。


このブログを書いている私について言うと、自分自身はリバタリアンであり、そのリバタリアニズムはリベラリズム、コミュニタリアニズムを包含したものと考えている。そして、世間一般に流布しているデフォルトにして定型のリバタリアニズムをわざわざ語り直すようなことはしないし、する気もない。無駄だから。屋上屋だから。
私がやりたいのは、10年後30年後に向けて、リバタリアニズムくらいは正しく一通り「押さえた」賢く学習熱心な政治意識の持ち主を育てる一助となるくらいのことである。けっしてリバタリアニズムを布教したり、その布教のために一律・一概にリベラリズム、コミュニタリアニズムを批判・非難したりするのを目的とするわけではないのだ。リバタリアニズムを必要十分なだけ知って、それでもリバタリアニズムに同調できないものがある、という場合には、それはそれで結構、なのだ。その時、その人のリベラリズムやコミュニタリアニズムは、より先鋭化され研ぎすまされた射程範囲の広いものになっているだろうから。


だからまた、この私がリバタリアニズムの名の下に語っていることを「本チャンの」リバタリアンが「それはリバタリアニズムじゃないだろ?」と言ってきたとしても気にしない。リバタリアニズムにも当然いくつかの大きな「流派」があり、それこそ極右から極左にまでわたっていると言えるのだから。※1
で、私はむしろ、私と同じようなそしてなお個々に異なる、コミュニタリアニスティック・リバタリアンだとかリバタリアニスティック保守主義者だとかリベラル・リバタリアンだとかの無数の政治意識者があらゆるヴァリエーションで出てきてほしいと願っているのだ。彼らと私、彼らと彼らの間に2イシュー5イシューで対立軸があったとしても、それは今よりずっとマシな深く意義ある噛み合った論議を生むだろう。


ちょっと長くなったが、最低賃金制度、リバタリアンは少なくともこのくらいは考えていて、それはリベラリスト、コミュニタリアンだからといって考えなくてもいいもの、デフォルトで「高くありさえすればいいもの」と決めつけちゃっていいものじゃないんだよ、ってことだ。
冷静でガセでないいくつかの視点と論議を以てあたってみれば、最低賃金制度によって保障された高い最低賃金が一律に国民ひとりひとりの「自由と幸福」に益するとは限らない、ということくらいは、実はリベラリスト、コミュニタリアンにだってフェアな論点・総合的な全体から切り離せない部分論として自然と浮かんでくることだし、また浮かんでこなければ狭く教条主義的な論者とされても仕方がない。


(また長くなったが)で、今回だが、いろんなひとりひとりの個人にとって、最低賃金制度が撤廃/部分自由選択撤廃された世の中がどう機能するか、極近未来ほのぼのSF的に見渡してみよう。多かれ少なかれ、それが、リバタリアンがそう遠くない20年後くらいまでには自然と現れているべきものと観る社会像である。


大学生Aくんは、コンピュータ工学を専攻する学生。ウェブ系企業で土曜、コンビニで月〜金、趣味と実益と側面的研究の片手間として個人事業主としてウェブ・アプリの開発・販売を行っている。
土曜のウェブ系企業のバイトは時給1100円で9〜16時。カスタマー・サーヴィス系なので暇なのが基本だ。電話・メールに応えない時は待機。楽だが、専門知識と接客応対術は要求されるので時給は高い。労使協定により決まった「休憩時間」はない。そのため丸々1100x7で7700円の割の良さだ。
月〜金のコンビニは時給600円で6〜8時。近所の独立系小規模店で「おっちゃんおばちゃんの店」系だ。大学への通学時間前にこなしている。時給は安いが、楽な「店番」的な職務なので気楽にルーティンとしてこなせる。それで週6000円、月24000円強は助かる。
ウェブ・アプリの開発・販売は随時。時給では計れない。年あたりの収入が5〜12万円というところ。確定申告上の所得で言えば0円に近い。「経費で落とせる」ものが多いからだ。カネがどうあれ、これはAくんのライフ・ワークでもあり、「研究」のコラテラルな一部でもあるので、やるか/やらないかの話の対象ではない。一流の研究職を目指す彼だが、就活の際には「手に職」的で即戦的なすべりどめの武器にもなる。

主婦Bさんは、夫と小学4年生の娘さんを持つ。建築模型製作の請負仕事を随時、趣味のグラスリッツェンの製作・販売を随時、夏期のみ近所の公共プールの受付職員をやっている。無給だが年に6回前後公民館で初歩の作曲講座もやっている。
建築模型製作の請負仕事は1件1万〜2.5万を月に1、2件。「そのくらいが限度の人」としてリーズナブルに仕事がもらえている。手際が良くなるほどペースや効率は上がるが、その「プロ」になるつもりでもない。「妻」「母」であることのほうがBさんには大事なのだ。
グラスリッツェンの製作・販売は個人事業主として、年あたり15〜24作を売る。1作1000円から8000円まで様々だ。だから当然年あたりの収入は2万〜16万くらいの範囲でまちまちだ。売れなければ0円収入で、そのかわりに経費がかさんでその領域内での「所得」は減る。
夏期のみの公共プールの受付職員は年によりポストによるが、時給550円でひと夏で20万円前後にはなる。小学生の娘さんがいるからこその、ちょうどいい、渡りに船的な職であり、殊に「子育て」的に過分な負担を生まないことが気に入っている。時給が安いのは能力・責任・労働荷重的に多くを要求されないゆえであり、納得できる範囲内にある。
公民館での初歩の作曲講座は完全に無償のヴォランティアである。若い頃にギターと作曲を趣味としていたのだ。「やりたいからやっている」に尽きる。それは講座受講者に最低限の何かを必ず約束しているわけではないが、タダなので端から文句の出ようもない。実際には多くの小中高生や中高年が、そこで作曲の初歩の初歩をつかみ踏み出している。

年金生活の高齢者Cさんは、奥さんと2人暮らし。奥さんと2人がかりの「内職」を随時、自転車で出かける駅ビル内トイレ清掃職、近所のルアービルダーから請負仕事を随時もらっている。
「内職」は小さな簡単な電機部品の組み立てで、1000個あたり2000円。手先の器用さと動作の合理化で8時間で1000個にはなる。部品を週1、2、3でもらってきて出来上がり品を週1、2、3で持っていく。時給換算するとしたらやるだけ無駄なくらいの「収入口」であろうが、「内職」でできるのが大事なことなのだ。
駅ビル内トイレ清掃は5〜8時、週4、時給650円。ノルマ/服務規程/出来上がりの完璧さを厳しく要求/管理されないのが「ちょうどいい」職場だ。規則正しく無理なく勤め続けられるのが気に入っている。手抜きをしても得をしないので文句の来る来ないにかかわらずベストを尽くしている。
近所のルアービルダーからの請負仕事は、完全出来高制で、ルアーの木製ボディ荒削り1個につき400円。月に8個ペース、出来上がりの精度へのノルマは厳しいので集中力と職人気質のプライドが求められる。納品にノルマはなく、時間がなければ1個も作らなくても済む。ちなみにCさんはこのための開業届を出した。ルアービルダーからの助言だ。彫刻刀やサンドペーパー代は「経費」としている。


この調子でいくらでもリアリティに配慮した「実例」例を挙げてもいけるが、このくらいにしておこう。いかなる「あなた」だってこんな想像例くらいいくらでも挙げられるはずだ。
ここで重要なのは、「仕事」だとか「収入」だとか「働き口」だとか「ポスト」だとかは、本来なら上記のように無限に無数に存在し得る、ってことだ。そこでは、ひとつの「メイン」の職・ポストで週5で40時間、なんてことに拘らなければ、リーズナブルな労働と報酬の関係だっていくらでも無限のヴァリエーションで存在し得る。
そこから逆算するなら、「週5で40時間等をベースとし、そこに生計・生存が一義的にかかっている給与所得者」においてのみなら最低賃金制度も大きな意義を持つ、と言える。それは裏を返せば、そればっかりに人生や生計や生存をかけていない人にも、高い最低賃金の対価にふさわしい、厳しい条件クリア的な労働状態/労働価値/労働効力/労働効率/労働意識を強要することにもつながるのだ。


それぞれに異なるひとりひとり個人個人の「自由と幸福」を、シヴィアに、十把一絡げでなしに語ろうとするリバタリアニズムは、最低賃金制度をもまた「強制」「規制」「収奪の裏返し」「隷属への道」とみなす。最低賃金制度が自分の損になる血も涙もない成功者としてそれを語るリバタリアンなどいないのである。



※1)興味のある人は「アナルコ・キャピタリズム」「アナーキズム」「フリードマン3代 - ミルトン、デヴィッド、パトリ」「自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン」「オーストリア学派とミルトン・フリードマン」みたいなクエリとテーマでちょっと深めに調べて読んでみるといい。





ミルトン・フリードマンの『政府からの自由』は、私が最初に明示的にリバタリアニズムに触れた本だ。リバタリアニズムという政治思想への興味ゆえの接近ですらなく、税金のことを学ぶ過程で北野弘久教授の諸作に触れるついでの通りすがりに行き当たったのだった。
それはスティーヴン・キングやフレデリック・フォーサイスの一級エンタテインメントと同様のスリルで本読みとしての私を魅了した。政治的言説の書物がこれほどまでのスリルと興奮と元気・勇気を与えてくれるということを、その時私は初体験したと言える。
M・フリードマンはその道の無視しようのない大御所だから誰もが読むべき本として多くが挙がるのだが、「入門編」として読もうという人には、私ならやはりこれを薦めざるを得ない。私の読んだそのものズバリのこの文庫版が新品で売ってないとは実に残念 — 日本の出版界事情なんてそんなもん、とも言えるのだが。









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第一にリバタリアン、ある意味リベラル、ある意味左寄り。
全体主義と衆愚政治がいちばん嫌いだから、です。
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